「臼杵せんべい」は、大分県民、また県外の人にも古くから親しまれている大分県のお土産ととして知られています。
臼杵せんべい=生姜のせんべい
なのは今では当然となっているのですが、ではなぜ臼杵煎餅が「生姜」のせんべいになったのでしょうか?
この件、意外と知られていないかもしれません。
今回は、なぜ臼杵せんべいは生姜せんべいなのか?について解説をしていきます。
【生姜じゃない】臼杵煎餅のはじまりは400年前
臼杵煎餅のはじまりは、四百年ほど前、臼杵藩主稲葉領主(五万石)が江戸参勤交代の途上の食料として、米・麦・粟・ひえ等を材料に作り上げた保存食が臼杵煎餅の始まりと言われています。
歴史ある食べ物ではあるのですが、ここに書かれている通り、
最初は、「生姜」はありません。
時期にこの「臼杵煎餅」は、小麦粉が主体となっていきます。
【生姜せんべいになった要因】大分県臼杵市は、しょうがの産地
後藤製菓は創業大正八年、最初は飴屋でした。
創業してしばららくのち、臼杵煎餅を作るようになりました。
この時期、臼杵市は生姜「うすき大生姜」の産地であり、明治・大正・昭和と最盛期でもありました。
しょうがの大産地だった時代と伝統的な食文化でもある「臼杵煎餅」
この時代、うまくこの2つがあわさり
地元のお菓子屋さんの多くが「臼杵煎餅」を作るようになり、後藤製菓も例外ではありませんでした。
「臼杵せんべい=生姜せんべい」が当たり前?
「大分県臼杵市がしょうがの産地」
そんな時代背景も、しょうがの産地として衰退してしまった今現在では、すでに忘れさらています。
忘れさられらた時代背景のなかで臼杵煎餅は、大分県の銘菓として
「臼杵煎餅」=「生姜せんべい」
として令和の時代も残っており、皆さんに愛されています。
臼杵煎餅が、なぜ、生姜せんべいなのかは、今更気にする人もあまりいませんが、こういった時代背景があったということをはじめて知った人も多いのではないでしょうか?
【臼杵せんべい】歴史とともに「生姜せんべい」になった
今回は、臼杵煎餅は、なぜ生姜せんべいなのか?を解説しました。
時代背景を知らなくても美味しく食べてもらえてる「臼杵煎餅」ですが、こんなちょっとした疑問も知ってみると意外とおもしろいと思うこともあるかもしれません。
生姜のおせんべいである臼杵煎餅は、これからも大分県のお土産として進化していきます。